バングラデシュへようこそ

ダッカ
シレット
ラジシャヒー
マイメンシング
クミッラ
シュンドルボン
チッタゴン
カプタイ
ランガマティ
コックスバザール
クアカタ
クルナ(バゲルハット・モスク)

ダッカ市内・郊外観光

バングラデシュの首都ダッカは、1977年9月28日の日航機ハイジャク事件の舞台として、多くの日本人の記憶に残っているかも知れません。 そのダッカは今現在、約1,000万人の人口をかかえている大都市です。貧富の差が大きい町でもあります。企業経営者、政府高官僚、政治家、軍人、商店主、リキシャ持ち主など の幅広い職業の人達が住んでいます。また、物乞いの生活を送る最貧困層に属する人も見かけます。市内を走るバス、ミニバス、タクシ、 ベビ・タクシー、テムポゥ、車、リキシャで常に賑わっています。オールドダッカは、交通渋滞が激しい時もあります。

モティジール商業地区 ダッカの摩天楼

モティジール商業地区は、ダッカ市内の中心部です。地区の南に国立競技場、国立バエトゥル・ムカッロム・モスク、中央郵便局などが隣接しています。 その東側にコモラプール中央駅があります。駅構内は広々としており、とてもきれいです。中央駅からインター・シティ特急列車で、全国主要各都市に連絡されています。近くには、国立 競技場、中央郵便局、電話局、ホテルプルバニーなどがあります。また、官庁街からもそれほど遠くありません。

この他、ホテルシェラトン、ロムナ公園、ダッカ大学、国立博物館なども近くにあります。

ジア国際空港から南に約12q程のところに高級住宅が立ち並ぶグルシャン.ボナニ地区があります。東側に各国の大使館・領事館が集中しています。 グルシャン・レイクと呼ばれる湖を中心に区画されたこの地域には、外国人が多く居住しています。地域内にはコンドミニアム、マーケット、レストラン、アメリカンスクール等があります。 この地域内だけで充分な生活が出きるように整備されています。

高級住宅が立ち並ぶグルシャン・ボナニ地区 もちろん、外国人だけでなく、ダッカの裕福な人達が豪邸を構えています。ほとんどの建物は面積が大きく、その造り方も贅沢過ぎます。

市内中心部のファーム・ゲートからわずか西側に世界的建築家ルイスカーンによって建築された国会議事堂があります。議事堂南側に大きな広場があり、 ここには毎日のよう多くの若者が集まります。夕日を楽しむ他、デート・スポットとして知られています。広場は、常に賑やかです。

国会議事堂








ベンガル語運動記念碑 独立戦争記念碑(シャヴァル)

1971年、流血の中から誕生したバングラデシュ。国家の誕生とそれを勝ち取るための独立戦争は、 多くの人の記憶から今も消えることのない現代史上の重要な出来事です。左にあるのが独立戦争の勝利を記念し、犠牲者を追悼する 戦争記念碑です。ダッカ市街地から35キロ離れたシャヴァル地区にあります。

右の中央ショヒード・ミナルは、1952年のベンガル語運動を象徴するものです。毎年2月21日には 多くの人が集まり、花で埋め尽くされます。因みに、2月21日はユネスコにより、世界母語の日と指定されています。その由来はもちろん、 バングラデシュの母語の日です。






スター・モスク アーサン・モンジル

古くから仏教が栄え、その後ヒンドゥー教が布教し、最後にイスラムが定着した国バングラデシュ。 だから、ダッカには多くのモスクやヒンドゥー寺院が見られます。左のスターモスクは、数多いモスクの中でも最も美しいものです。 白いタイルに埋め込まれた様々な色のガラスによるモザイクが星をちりばめたかのように美しいモスクです。内部の回廊も、 花や幾何学模様が配置され、美しいデザインであるとされています。また、建築様式にも特徴があり、一般的なイスラム寺院が、 丸いドームの周囲に高いミナレット(尖塔)を配置したスタイルであるのに対し、このモスクはひとつひとつのドームが低く、 尖塔がありません。中には、日本の富士山の写真もあります。

右のアーサン・モンジルは、イギリス植民地時代の建物です。今現在は、博物館になっています。 高いドームのある円形の塔屋を冠した2階建ての建物で、南側のブリゴンガ川に面しています。宮殿にある数多くのステンドグラスの 扉や窓、大理石の調度品、シャンデリア、陶磁器、銀製品、モスリン織物、クリスタル、絹織物などが展示されています。

ラルバグ・フォート

左のラルバグ・フォートは、1678年にムガル王朝ムハッマド・アゾム王子によって建築された砦の 跡です。1857年のセポイの反乱 の折には、イギリス支配に反対する現地の住民らに支援された260人のセポイがここに駐留していた と言われています。周囲には、皇后のお墓もあります。

無数の巨大な河川が国土を覆うバングラデシュでは、船が主な交通手段のひとつです。首都ダッカ を流れるブリゴンガ川のショドルガットには、多くの客船が発着します。予想外の数に観光客は圧倒されます。

ショナルガウ・ホテル


写真はありませんが、ダッカの中心部に位置するニューマーケットは、主なショッピング場です。 マーケットを囲みサリー・洋服・アクセサリー・化粧品・靴・本・文房具・軽食などのお店がたくさん並んでいます。値段もお手軽で おすすめです。

国立バエトゥル・ムカッロム・モスク

右にあるのがダッカの中心街にある高級ホテル・ショナルガウです。ワールドクラスの 施設と暖かなおもてなしは、多くのビジネスリーダーのお客様に高い評判を受けています。ジア国際空港より南へ17キロ。 車で約25分です。

ダッカについて詳しく知りたらい方は、こちらをご覧下さい。






クミッラ地域

モイナモティ遺跡

ダッカから東へ約80キロの所にモイナモティ仏教遺跡があります。近くには、第2次世界大戦の 日本人戦没者の墓地もあります。宿泊施設はあまり整っていないので、事前に観光公社に問い合わせておくとよい。

この地域について詳しく知りたらい方は、こちらをご覧下さい。








シュンドルボン

ベンガル虎

インドのベンガル州沿岸部及びバングラデシュの南西沿岸地帯に広がる湿地帯で、 世界最大のマングローブ林のシュンドルボンがあります。ベンガル語で「きれいな森」という意味を持ちます。 総面積5,770平方キロのうち、 6割がバングラデシュに属しています。大小無数の河川が湿地帯を網の目のように流れており、 森林のなかはベンガル虎をはじめ、ワニ、河イルカ、かわうそ、野生のサルやシカ、また数多くの野鳥の宝庫となっています。 様々な旅行代理店が専用ボートによるシュンドルボン・ツアーを実施しています。

シュンドルボン について詳しく知りたらい方は、こちらをご覧下さい。



チッタゴン

ダッカから約300キロ、東南部のベンガル湾に臨む港湾工業都市チッタゴン。 コルノフリ川がベンガル湾に注ぐ地点に位置するバングラデシュ第2の都市です。市街地は川の北側の残丘の間および前面に拡がります。 古くポルトガル時代から知られた港で、植民地時代はジュ−トとお茶の積出港とし、商業地としても栄えています。 港湾地区には外国企業の誘致を目的とした輸出振興地区が設けられており、日本企業の進出も徐々に伸びてきています。 日本企業の駐在員も数十名います。少数民族の風俗を展示した博物館や、ジアウル・ラーマン大統領が暗殺された場所(サーキット・ハウス) がジア記念館として公開されています。

チッタゴンに ついて詳しく知りたらい方は、こちらをご覧下さい。

コックスバザール海岸

コックスバザール海岸 コックスバザール海岸

チッタゴンから南へ約160キロのところにコックスバザールがあります。コックスバザール砂浜は、長さとして世界最長とも言われています。 12〜1月頃のベンガル湾に沈む美しい夕陽が楽しめる他、ミヤンマー風建築の民家(少数民族が多く居住しているため)や仏教寺院が見られます。コックスバザール海岸は、南アジアの代表的なリゾート地であります。 観光公社の宿泊施設を含む各種サービスが整っています。ダッカからの国内線飛行便もあります。

コックスバザールに ついて詳しく知りたらい方は、こちらをご覧下さい。




バゲルハット・モスク サイト・ゴンブッズ・モスク

首都ダッカから南へ直線で約140キロ。ガンジスの大デルタ地帯の中に、世界でも珍しいイスラムの都市遺跡、バゲ−ルハットがあります。サイト・ゴンブッズ・モスク と呼ばれるこのモスクの広い屋根の全面を埋めたド−ムの列の中に入ると、SF映画のスクリ−ンの中へ迷い込んだような気分になるには違いありません。いかなる現代の前衛建築も、 これだけの不思議な空間を演出することは不可能に思えます。

東西約6キロ、南北約3キロの範囲に連なる多種多様な遺構は、モスク、宮殿跡、道路、橋、貯水池などの集合です。モスクの名称自体ベンガル語で「60個のド−ム」の意味を持つが、 ミナレットの上などを加えて驚くべき屋根の上部を飾るド−ムの数は実際に合計81個です。ベンガルの歴史を貫く精神の核とも呼ぶべきこのモスクの建設者の名はトルコ系の武将カ−ン・ ジャハン・アリ−(Khan Zahan Ali)です。築かれた時期は5世紀初頭から中ばです。

クルナ地域について 詳しく知りたらい方は、こちらをご覧下さい。


ホームに戻る


Copyright: Embassy of the People's Republic of Bangladesh in Japan : launched in May, 2003
Bangladesh embassy gratefully acknowledges contributions of Maksudul Alam in construction and launching the site.